マドンナ 1985年 東京: 歴史的エピソード満載、長谷部宏「写真展示会」開催スタート

歴史的エピソード満載、長谷部宏「写真展示会」開催スタート
 
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Hiroshi Hasebe's Photo Exhibition in Tokyo now open 
Historical shots of The Beatles, Madonna, Eagles, Van Halen, Eric Clapton, Kiss and more by japanese photographer Hiroshi Hasebe.
 
Photo exhibition of photographer Hiroshi Hasebe opened in Shinjuku B Gallery (Beams Japan 6F). 
Started January 10, 2015 (Saturday) until February 11 (Wed) Time: 11: 00 ~ 20:00
 
 
日本の洋楽シーンをフィルムに捕え続けてきたカメラマン長谷部宏(はせべこう)の写真展示会が、新宿のBギャラリー(ビームス ジャパン 6F)でスタートとなった。2015年1月10日(土)から 2月11日(水)まで11:00~20:00(会期中無休)の開催だ。
 
会場には当時の貴重な瞬間をとらえた歴史的ショットが額に収められて掲示されている。当時のミュージックライフやその後の報道などで目にした有名なショットから非常にレアな一枚まで、ロックミュージック・ファンにとって心躍る写真が満載だ。
 
開催スタートとなる前日にはレセプションパーティが催され、カメラマン長谷部宏をはじめ、ザ・ビートルズを日本に紹介した星加ルミ子、東郷かおる子、増田勇一といった音楽雑誌「MUSIC LIFE」の歴代名物編集長も列席、会場は熱気に包まれていた。
 
会場に掲示されている各写真にまつわる長谷部宏のエピソードを下記にご紹介しよう。なお、一部の写真は額の入った状態での販売も可能となっている。熱い情熱とともに洋楽シーンを日本に伝えてきた「MUSIC LIFE」と、その貴重なアーティストの姿を世界中で捉えてきた長谷部宏、その歴史的ハーモニーを、ぜひとも会場でお確かめいただきたい。
 
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●マドンナ 1985年 東京
「「ライク・ア・バージン」のプロモーションで来日したマドンナはまだ海のものとも山のものともつかぬヘソ丸だしの少女だった。プレゼントした扇がいたく気に入って相好を崩して喜んでくれたあの素朴な彼女は、今何処へ行ってしまったのだろうか? センスを持ってニッコリ、カメラに納まった可愛い少女が懐かしい。」
 
Madonna came to Tokyo 1985 to promote her 'Like A Virgin' album 
 
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●アクセル・ローズ(ガンズ・アンド・ローゼス) 1988年 東京
「中指を1本だけ立てて腕を客席の方に突き出すシーンを必ず撮ってくれというが編集部の注文だった。600mmの望遠レンズでアクセルの上半身だけに的を絞って追い続けたのだが、何時それをやるのか解っていない僕にはヒヤヒヤものだった。烈しい動きではなかったが、大きな波がうねっているようなスケールの大きさと迫力はさすがだと思った。」
 
●アンガス・ヤング(AC/DC) 1982年6月 東京
「半ズボンがトレードマークのアンガス。こんなに舞台の上で燃焼しつくしてしまう人も珍しい。度が過ぎて、ズボン降ろしてお尻みせちゃったり。どこかで自分を完全燃焼できる人は、爽やかで、屈託がない。」
 
●イアン・ギラン(ギラン)1977年 東京
「ディープ・パープルで来日した時は撮れなかった。でも自分のバンドになったらすごく協力的なんで驚いた。ライヴ撮影の時、ステージの彼と目が合うと、こっちに挨拶するんだもの、あれにはたまげたね。だからこの撮影も、いたって上機嫌。表情からもわかるね。」
 
●イギー・ポップ 1987年 東京
「言うとおりに動いてくれた。イメージとは違ったなあ。人の言うことをきかない人ときていたから。こちらからポーズをつけたわけじゃないんだ。手を挙げているだけで、別にどうってことないのに絵になる人だった。」
 
●イーグルス 1979年9月 日本武道館 東京
「コンサートではバンドの一人を撮るというよりも、横並びでみんながヴォーカルを撮るところが狙いだった。だけどメンバー間が空いて間延びしちゃったり、なかなかうまくいかなくて、苦労したんだ。」
 
●ヴァン・ヘイレン 1979年9月 大阪城公園
「「大阪城でローラースケート事件」。事の発端はデイヴが言い出した大阪城公園でローラースケート。そのアイディアは悪くないと、ホテルのロビーで待つ取材陣の目に飛び込んできたのは、大声で何やら叫びながらシャーッと目の前を通って行くおかしなガイジン4人。なんと部屋からローラースケート靴を履いてきて、そのままロビーを滑りまくって外に出た。」
 
●ウォーカー・ブラザーズ 1967年2月 東京
「3人とも細くて足が長くて、スコットとジョンは背も高くて、カッコよかったよ。サマになるんだよな。最初の来日はMLが呼んだんだよ。人気者にしたくてさ。スタジオに入れて撮影したり、色々やったね。スコットは歌も上手かったね、いい声してるんだ。ただ彼ら、というか、多分スコットだな、あいつはアイドルにはなりたくなかったんだ。もっとアーティスト志向が強くて、だから音楽も大ヒットするようなのとは違ってたんだと思う。もっと割り切れたら、人気者になっていたかもしれないけど。アイドルどころか、日本に来た後すぐに、解散するとか言い出しちゃって、なんだよ、って思ったね。」
 
●エリック・クラプトン 1970年6月14日 ロンドン デレク&ザ・ドミノズ デビュー・ライヴ
「ライシアムのバックステージからアコースティック・ギターの音が流れていた。中を覗くと彼は超ミニのご夫人達に囲まれて紫煙の中で何か口ずさんでいたが、目ざとく我々を見つけるとすぐに入口まで来てくれた。『ミュージック・ライフ』の人気投票でギター部門第1位になったことを告げ、その盾を持ってきたことを説明すると、さすがに驚きと喜びの表情をかくさなかった
「みんな、聞いてくれ!僕が日本の音楽雑誌でギター部門第1位になったんだ」。はからずも部屋の中に拍手と歓声が起こった。盾を持った写真を撮ってから、少しスナップしたいと頼むと上機嫌の彼の返事は勿論OK。」
 
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●エルトン・ジョン 1971年10月 東京
「当時、足でピアノを弾いたりアクロバット的なステージアクトだったエルトン・ジョン。だが、なかなかイメージのようなスタイルを見せず、諦めかけていたときにやっと…。狙いに狙ったショット。」
 
●オジー・オズボーン 1991年10月 東京
「彼はもはや年齢を越えている。年なんて、もうどうでもよいのだ。嬉しくも悲しくも、オジーの前後にオジーはいない。」
 
●カート・コバーン(ニルヴァーナ) 1992年2月 東京
「カート君、大地の上に寝ころんでごらん。きっと解る! いつか君もそこに還るってことを。そして、日々が死への旅路だってこともね。だからそんなに急ぐこともなかったのに。苦しくとも悲しくとも精一杯生きるのが人生なのに。黄泉の国は美しかろう!そう願わずにはいられない。その日彼の部屋には、彼の好きだったパジャマが脱ぎ捨ててあった。合掌。(付記:カート・コバーン 1994年4月ショットガンにて自殺。享年27歳)」
 
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Kiss (March 1978 in Tokyo)
 
●キッス 1978年3月 東京
「ジーン・シモンズが火を吹いた時なんかは、火の粉やら、口に入れた灯油やらがカメラに向かって飛んでくるから、そのことを気にかけながら撮影しなくちゃいけないし、下に置いてある機材の心配もしてた。カメラを守らなくちゃ、って。サーカスみたいなステージと、熱狂する観客の間に、極めて冷静な僕がいた。」
 
●キース・リチャーズ(ローリング・ストーンズ) 1972年12月 ジャマイカ キングストン
「ダイナミック・スタジオで『山羊の頭のスープ』をレコーディング中のストーンズを来日直前取材。自由にインタヴュー~撮影していいという破格の取材許可を得ていた。子煩悩な一面を見せたキース・リチャーズとビル・ワイマン、明るくおしゃべりなミック・テイラー、落ち着いたチャーリー・ワッツ、リーダーの貫録を見せるミック・ジャガー、といった印象だった。」
 
●クイーン 1975年4月22日 京都
「クイーンほどいっぱい撮ったバンドもいない。来日するたびに密着取材だった。1979年のツアーの時、ライブ・アルバムのジャケットを撮ることになり、バックステージで、撮った写真を見ながらみんなで相談したが、どうしても意見がまとまらず、最後に“4人揃ってファンに手を振っているところ”ということになった。ところがそのシーンになってもバラバラに手を挙げて引っ込んでしまうのだ。バックステージに飛んで行って「話が違うじゃないか!」と言うと、4人が顔を見合わせて「いや、悪かった、つい忘れてしまうんだ。今度こそ手を振るから頼むよ!」ということになるのだが、何回やってもダメだった。ショーが始まってしまうと全部忘れてしまうのだ。結局それに一番近いのを使ったが僕にはどうも納得ができなかった。何もかも忘れて自分達の音楽に打ち込んでしまうのがクイーンだった。」
 
●クラフトワーク 1981年9月 東京
「初来日時、新宿の京王ホテルのロビー。向こうから4人が同じ歩調で歩いてきた。同じ服に同じ顔、これまでのアーティストとは違った感覚。なんか不思議な光景だった。」
 
●グリーン・デイ 1996年1月 大阪
「わざわざ大阪まで行ったのに、女性マネージャーがうるさくて撮影は5分限定。でも強引に撮った。ブツクサ文句言われたけど、気にしない気にしない。個人ショットも撮っちゃった。」
 
●ケイト・ブッシュ 1978年6月 東京
「なぜか彼女の部屋は花でいっぱいであった。それが何とも楽しくて誇らしげであった。童女が一足飛びに女に変身する、その一瞬の隙間に彼女は彷徨しているかの様に思えた初来日。増上寺に連れ出し鐘楼の下でゆっくり撮れたショット。」
 
●ジェイムス・テイラー  1973年1月25日 東京
「新宿厚生年金ホールでのステージ。この初来日時は前年に結婚したカーリー・サイモンも一緒に来ていた。運がよかった人は奥さんがステージに出てきてでデュエットしたのを見られたかもしれない。当時は本当に人気があって、厳しい撮影規制があった記憶がある。」
 
●ジェフ・ベック(ベック、ボガート&アピス) 1973年5月 東京
「初めてロンドンで会った時、もっとちゃんと撮っておけばよかったな、ってうしろめたい気持ちになったよ。この頃には表紙を飾るようなアーティストになっていたからね。レコード会社雇いのカメラマンが、僕が撮ろうとすると前に出てきちゃってさ、彼が必死なのは分かるけど、MLの特写の時まで前に出てきちゃう、だから怒鳴りつけてやったんだ。そしたら、メンバー3人とも驚いてたな。僕のこと、うるさいカメラマンだと思っただろうね。」
 
●シド・バレット(ピンク・フロイド) 1967年9月 ロンドン
「ビートルズを撮りにいった時、たまたまピンク・フロイドを売りこまれて撮った1枚。どこの誰やら知らないまま撮影したけれど、当時はどれほど貴重な写真かわからなかった。後にシド・バレットの偉大さを知って驚いた。」
 
●ジャクソン・ファイヴ 1973年3月 東京音楽祭(帝国劇場)
「仲のいい兄弟のイメージ。マイケル・ジャクソンをこのとき特別意識したことはなかったな。マイケルがその後あんなにビッグになるとは驚きだよ。80年代のビッグスターになってからは、全く撮れなくなっちゃったね。」
 
●ジョン・アンダーソン(イエス) 1974年 6月 バッキンハムシャー 自宅
「ジョン・アンダーソンの大邸宅には5~6人で押しかけたんだけど、すごく歓迎してくれてね。70年代はよくあったね、自宅に行くことが。(付記:バッキンハムシャー=ロンドンから車で約1時間、近くには白樺林があり、緑の芝生を敷きつめた広々とした台地に牛や馬が遊び、その間にポツポツと大邸宅が建ち並んでいるエリア)」
 
●ジョン・レノン(ビートルズ) 1966年7月 キャピタルホテル 東京
「ビートルズが来日して4日目の1966年7月2日の午後、メンバーがくつろぐスイート・ルーム。部屋に入った長谷部をみつけるやいなやメンバーは“コー、どれがいいのか教えてくれない?”と呼んだ。外出できないメンバーのため、カメラ屋が訪問販売に来ていたのだ。ロンドンでの初対面から約1年、彼らは長谷部のことを、ちゃんと覚えていた。「みんな、本当に気のいいヤツだったな。中でもサービス精神旺盛なのはポール。リンゴは人懐っこくて、ジョージは親切で丁寧。ジョンもけっこうおどけてみせたりしてたね。今、日本で何が流行っているのかと聞いたジョンに“シェー”(注:当時、赤塚不二夫の漫画作品 おそ松くんに出てくるイヤミのギャク)を教えた時のショット。」
 
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長谷部宏と星加ルミ子。シェーのポーズを取るジョン・レノンの写真の前でシェーざんす。
Hasebe Hiroshi and Hoshika Rumiko poses in front of the John Lennon photo.
 
●ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 1968年12月23日 ロンドン アップル・レコード/クリスマス・パーティ
「パーティには、ジョンとリンゴが出席していた。リンゴが家族と賑やかにしているのとは対照的に、床座りしたジョンにはヨーコが寄り添い、そこだけ一種独特のムードを醸していた。」
(付記:長谷部がジョンを撮ったのは、これが最後。この日から、1年余の時を経てビートルズは解散する)
 
●スティーヴ・マリオット(ハンブル・パイ) 1973年5月 東京
「彼もステージしか撮れなかった。後日、火事で亡くなったと知って悔しかったね。とても小柄なのに、ライヴの声に深いソウルと異様な迫力があった。」
 
●スティーヴン・タイラー&ジョー・ペリー(エアロスミス) 1977年1月31日 日本武道館 東京
「とにかくエアロスミスはライヴ写真がいいんだ。絵になるんだよ。特にこの二人は絶品だね。レコード聴くより、絶対にコンサートだな。」
 
●チープ・トリック 1978年4月 東京
「初来日の羽田空港で、カメラを構えていると、タラップを降りてくるリックに、大きな声で“君はMUSIC LIFEのフォトグラファーか?”と聞かれたのには驚いた。彼らほど家庭的なバンドを他に知らない。リック父さんにバーニー母さん、しっかり息子のトムに末っ子の甘ったれがロビンだ。いつの間にかロビンにダディーと呼ばれるようになって、僕も家族の一員みたいな気にさせられたこともある。」
 
●デイヴィッド・カヴァデール (ホワイトスネイク) 1981年6月 東京
「動いてよし、静止して、またいい。彼の一挙手一投足が、絵になるんだ。デビカバがさ、僕が写真集にのせたBBキングの写真をすごく気に入ってて、最初にディープ・パープルで来日した時(75年)だと思う、1枚焼いてあげたんだ。そしたら今度は、『雑誌用じゃなくて個人的に俺を撮影してくれ』って言われてさ、写真をおふくろさんに送りたいって言うから、撮ってあげた。今度はおふくろさんが大喜びしたっていうんで、また気に入られて(笑)。」
 
●デヴィッド・ボウイ 1973年4月 初来日 記者会見
「飛行機嫌いで船で来るというので横浜の岸壁へ取材に行ったのだが、その後何度も飛行機で来ているのだから、一体あれは何だったんだろう? 彼も結構策略家なのかも知れない。日本でのデビュー・コンサートも衝撃的だった。後ろを向いていきなり尻をまくってしまうのだ。僕も思わずシャッターを切って撮った写真を後に来日した時に見せたらさすがにテレ笑いしてサンキューとだけサインをして本を閉じてしまったが、あのなんとも困惑した表情が忘れられない。」
 
●ドゥービー・ブラザーズ 1976年1月12日 京都
「オフになると、京都見物は定番のコース。龍安寺の石庭を前にして。お寺の縁側に全員を一列にしたけれど、撮影の段になって僕が庭に入れないことが判明。横から撮るしかなかったんだ。」
 
●ニール・ヤング 1976年 東京 ホテル
「友人にもらった日本のハッピを気に入り、どこにでも着て出かけていた。案の定、撮影の時も着ていた。明るくて感じのいい青年だった。」
 
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●バッド・カンパニー 1975年3月 東京
「ポール・ロジャース(右端)の自宅に取材に行ったこともあって、彼は僕の顔を覚えてくれていた。当時の奥さんのマチさんが日本人だったせいもあるのかな。いいイメージなのに、来日ステージのこと、僕はすっかり忘れているんだ。」
 
●ビートルズ 1966年8月29日 サンフランシスコ キャンドルスティック・パーク 最終公演
「広いフィールドをステージに向かって駆けていくビートルズ。アメリカ・ツアーに同行しての取材。NYのシェア・スタジアムでは、僕の目の前に3m四方もあろうかというスピーカー・ボックスが並んでいた。すると頭蓋骨が割れそうな音が鳴りだした。髪の毛が全部抜け、心臓が破裂しそうになった。そして大観衆の歓声はさらに激しく、これらを取り巻いていた。僕はもう夢中でシャッターを押し続け、編集者は音の洪水の中から必死に4人の声を探し求め、観客の一人一人は前後を忘れてわめき散らし、そして4人は玉の汗を流し続けた。そこには、もうなんの理屈もない人間の純粋な姿があり、エネルギーの爆発があるのみだった。なんとも“バカバカしい”、しかし“必要無駄”ともいうべき、素晴らしい時間だった。」
 
●ビートルズ 1967年9月25日 ロンドン EMI第2スタジオ「フール・オン・ザ・ヒル」録音時
「ポールがピアノを弾いて、ジョンがギターを抱えて、レコーディングというよりは曲作り中だったと思う。ポールとジョンは、インドの笛も交互に吹いてた。休憩時間を利用して、お茶を飲みながらの取材だったけど、曲やレコーディングの打ち合わせもしながらで、なかなかじっくりとはいかなかったね。ジョージは僕が持っていた新しいカメラにすごく興味があったようで、いつ発売になったの?とか、色々質問してきたよ。それで、僕が撮影すると、後ろからのぞいて『ナイス・ショット!』と控えめに言うんだ、いかにもジョージらしくね。どことなくよそよそしかったジョンのことが気になったけど、あの時スタジオで見かけた東洋人女性がヨーコさん(オノ・ヨーコ)だって、後々分かるに至って、合点がいったんだ。今でも「フール・オン・ザ・ヒル」を聴くと、あの時のスタジオでのシーンが思い出されるね。」
 
●ピンク・フロイド 1971年8月 箱根アフロディーテ
「これは箱根でのショット。滞在先のホテルの庭で撮影した時も、結構自由に撮らせてくれた。メンバーも若かったし、難しいことはなかったね。スケジュールがタイトだからシャッターチャンスを逃したくなくて、羽田空港まで行って撮った。当時も多くのファンがつめかけていた。」
 
●ザ・フー 1968年 ロンドン
「メンバー全員が揃うまでに、結構時間がかかってね、待たされたんだよ。マーキーのバックスデージでメンバー同士がたむろしている所やグループ・ショットを撮ったんだけど、ライヴは、あれ、実は隠し撮りなんだ。僕は(背が)小さいから、カバンの上に乗っかって撮ってたんだけど、盛り上がってきたお客にぶつかられたりして、何度もバランス崩して危なかったんだよ、ホントに。みんな、でかいしさ。」
 
●ブラー 1995年11月 東京
「いつだって協力的だったよ。4人ともいいヤツらだった。この時期ブラーほど何度も撮影したバンドって少ないんじゃないかな。ステージではバカみたいに上から水をまくんだよ。こっちはカメラ持ってるから、水がかかりゃしないか気が気じゃない。でもファンの子は「キャー、キャー」言って喜んじゃって、ああいうのは、たまらないな。ライヴも僕には、よく分からなかったし。それでも被写体としてのデーモン・アルバーンには興味があった。本当は、ジェームス・ディーンみたいに撮りたかったんだ。ちょっと斜に構えた所があったでしょ。そういう部分を出したかったんだけど、根っこが素直で明るいから、そっちが写真に出ちゃう。最後まで満足いくようには撮れなかったな。」
 
●ブライアン・セッツァー(ストレイ・キャッツ) 1981年9月 東京
「ブライアンはかわいい顔してるのにギターの腕は確かで、ヴォーカルも良かった。そして被写体となれば絵になる人。オフ写真でも、グレッチのギターをもたせたら、さらに光ったね。」
 
●ブライアン・フェリー(ロキシー・ミュージック) 1983年3月 東京
「彼の写真は来日する度に何回も撮っているのだが、未だに納得する写真が撮れない。初めて会った時にパッとひらめいていい写真が撮れないと、ずーっと後まで尾をひいてしまうものなのだ。ステージにおける彼の豊かな表情や流れるような動きは、撮っていて楽しいのだが、オフになると表情が固くていつも苦しんでしまう。脳波の違う人だなーと思っている。」
 
●フランク・ザッパ&マザーズ・オブ・インヴェンション 1970年6月 イギリス サセックス
「ザッパ(左から2人目)はね、すごくいい人だったんだよ。撮影にも協力的でね。何しろ頭が切れる感じがしたな。」
 
●ブルース・スプリングスティーン  1980年 ロス・アンジェルス
「スポーツ・アリーナですごい数のカメラマンがいて、2班3班に分かれて撮影させられ、あっという間に終わり。まさに典型的なスーパースターの撮影だったね。ライヴが終わってから楽屋で特写ができることになっていたのに、ボブ・ディランが遊びに来ちゃって、できなくなったんだ。」
 
●ブロンディー 1978年 ニューヨーク
「取材を終えたデビー・ハリーが、「夜ご飯を一緒に食べよう」って言うんだ。その夜案内されたのは彼らの行きつけの汚い店だったけど、それが嬉しかったね。彼女、下積みが長くてすごく苦労したって聞いてたからさ。」
 
●ボ・ディドリー&ロン・ウッド 1988年3月 東京
「二人の公演は何しろ凄くよかった印象がある。先輩をたてて、自分も楽しんで、観客も満足させる。この後もロン・ウッドは何回か撮っているけど、とても人あたりがよくて、スター気取りが全くない人。いつも協力的で、仕事がしやすい。」
 
●ボブ・ディラン 1978年2月 初来日記者会見 東京
「ディランはなぜか縁遠くて、一度も特別な取材はなかった。記者会見の写真でもどこか気難しい感じだよね。彼のことでよく覚えているのは、LAでのちょっとした事件。ブルース・スプリングスティーンのインタヴュー取材ができるというので公演会場の楽屋口で張っていたら、フラッとディランが来てスプリングスティーンと話し始めちゃった。いつまでたっても終わらない。結局その日、そのまま帰るしかなかったんだ。」
 
●ポール・マッカートニーと家族 1975年11月 オーストラリア ブリスベン
「来日直前取材。リンダに僕の写真集『小さな世界の大きな巨人たち』をプレゼントしたところ「私もこんな写真集が作りたかったのよ」って悔しがりながらも、すごく気に入ってくれて、すごく打ち解けた。ツアー終盤、「明日は、家族で動物園に行くから一緒に来ない?」ってリンダに誘われ集合時間にロビーに行っても誰も来ないわけ。そしたら、まさにその時、日本公演ができなくなるっていう話をしてたんだ。「せっかく楽しみにしていたのに、日本に行ったらコーと同じレンズを買おうと思ってたのに」ってリンダが言うから、レンズをあげたんだ。そしたらものすごく喜んでね。公演1週間前の来日中止は、バンドにも、ファンにも大きなショックだったけど、彼らは「絶対、日本には行くから」と繰り返していた。リンダ&ポールとはこれ以降よりフレンドリーに。ウイングスは、レコーディングを中断してでも取材に応じてくれた撮りやすかったグループ。」
 
●ポリス 1981年1月 倉敷
「美しい倉敷の街をバックに写真を撮ることになった。「オイ、写真を撮るんだってよ」とスティング。「勝手に撮ればいいじゃねえか」と二人。それでもシャッターの音がするまでじっとしているあたりはさすがに解っている。両側が校倉造のこれこそ倉敷と言えるような路地で、3人が歩いているところを撮ろうとしたら、突然申し合わせたように逃げてしまった。仕方無しに引き上げようとした時、スティングだけがニヤニヤしながら戻ってきた。“2人共逃げちゃったよ”と申し訳なさそうに言ったが、実は君ひとりだけで良かったんだとは言えないので、困った振りしてその辺りでスナップしながら宿に帰った。世の中何が幸いするか解らない。」
 
●マイケル・シェンカー 1984年 スーパーロック‘84 埼玉 西武スタジアム
「マイケルの写真を撮っていると、僕は山の写真を撮っている時のことを思い出してしまう。ガッシリ三脚をかまえて、山に向かっても自然の表情は刻一刻と変わり、同じ写真は一枚もない。マイケルは一度前傾姿勢になると、もう2分も3分もガーッとギターを弾きまくり、動かない。しかし山の写真と同じで、髪の毛はゆれ動き、額の汗はとめどなく流れている。ぶらさがったペンダントは方向を変えて、そのつど別の効果を生んでいる。600ミリの望遠レンズでクローズアップしてみると、表情も豊かで、時折、乾いた口の中まで見えて、かすかにうめいているであろう吐息まで感じられるのであった。」
 
●マーク・ボラン(T・レックス) 1972年11月28日 東京
「当時は本当に大人気だった。でも衣装も化粧も派手で、あまり好きになれなかった。僕の理解の範疇をこえてたのかな。ステージもすごく短かったんだ。ただ取材には協力的だったね。」
 
●ミック・ジャガー(ローリング・ストーンズ) 1972年12月 ジャマイカ キングストン
「ストーンズ初のジャマイカでのレコーディング。ミックはちょっと近寄りがたい感じ。他のメンバーはテラスに出てきたりしたのに、彼は自室にいることが多かった。」
 
●U2 1983年11月 東京 新宿中央公園
「遠くの方に着物姿の年配のご婦人が休んでいた。「あの女性を入れて撮りたいので隣のベンチに座って欲しい。カメラは絶対見ないように」、これだけ注文してあとは彼らの行動にまかせた。このご婦人の意識して彼らを無視している表情と、彼らの自然を装った何喰わぬ顔、陽の光が演出してくれたミスマッチなオカシサに僕の口元が思わず緩んだ。ある晴れた日の午後のひととき、暖かい風がみんなの頬を撫でていった。」
 
●リッチー・ブラックモア(レインボー)1984年3月 日本武道館
「狙ったミュージシャンに常にピントを合わせ、シャッター・ボタンに指をのせておく。あとはその人の動きのリズムに自分の気持ちを合わせて、チャンスを待っていればいい。コンサートの写真を撮るカメラマンなら、誰でもがすることだ。ところが、リッチーはこの方法だとうまくいかない。動くリズムが他のギタリストと違うのだ。彼の写真のキャプションには、たいがい狂気の○○とか、鬼気迫るイメージの形式などと書かれているようだ。いずれにしても、その常態を逸した激しい生命の燃焼に、誰もが「美」を見出して、拍手を送らざるを得なくなる。それはリッチーならではの表現力の妙か。」
 
●レッド・ツェッペリン 1971年9月 広島
「ステージに駆け上がったロバート・プラントの第一声“ハロー・ジャパン”の甲高い声が、武道館の天井から跳ね返ってきた時、おぉ! 遂にツェッペリンがやってきたんだなーと思った。次々とメンバーが登場すると観客は総立ち、粗削りな彼らのサウンドに沸きに沸いた。やがてジミー・ペイジがボーイング奏法を始めると、僕は歯が浮いてしまいカメラを持って場外へ逃げ出してしまった。オフの彼らのてんでんばらばらで好き勝手な行動は、マネージャーですらコントロールできなかったようだ。ツアーに付いていた僕も、記者会見と広島市長との会見の時以外4人一緒のグループ・ショットを撮った記憶がない。」
 
●ロッド・スチュワート、ロン・ウッド(フェイセズ)1974年2月 東京
「当時メンバーだったベースの山内テツを個人的に撮ったことがあって、それでフェイセズのことはよく覚えている。ロッドとロニー、ツーショット狙いで撮ったんだ。もちろんコンサートは最高だった。78年にロンドンでもロッドを撮ったことがあるけど、彼のしゃがれ声は、とてもいい。」
 
●ロバート・フリップ(キング・クリムゾン) 1981年12月 東京
「来日前から音楽同様に難しいうるさい人との情報が一人歩きしていた。だけど実際はそんなことはなかった。ホテルの庭での撮影もメンバーが一緒だったせいなのか、さりげなく協力的だった。」
 
●ローリング・ストーンズ 1971年12月 ジャマイカ キングストン
「『山羊の頭のスープ』レコーディング中のストーンズ来日直前特別取材でジャマイカはキングストンのダイナミック・スタジオへ。撮影用とお土産を兼ねて持って行った、三味線、大正琴、鼓、太鼓、尺八を持ったメンバー。待望のグループ・ショットは撮れたが、レコーディング中のミックは撮れなかった。「レコーディング中は神経質になるからね。だから、他のメンバーがリハーサルしている所を、ヴォーカル用のブースから撮影していたんだ。そしたら。いきなりミックが入って来て扉が閉められ、あっという間に本番が始まった。仕方ないから、その場にしゃがみ込んで、頭の上でミックが歌うのを聴くことになっちゃった。くねくねしながら歌うミックの口からは、つばが飛んで来るんだよ。うへぇ~と思うけど、しょうがないじゃない。テンボを変えたり、何度もやり直しするのをずっと待って、結局OKが出るまでそこにいたな」(付記:ミックの神経に触らないよう、必死に殺した長谷部の息が入っているかもしれないのは“スター・スター”、「今でもこの曲を聴くと、目の前にミックが立っている錯覚になるよ」」
 
 
<MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部 宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~>
2015年1月10日(土)~ 2月11日(水)11:00~20:00(会期中無休)
入場無料
@Bギャラリー(ビームス ジャパン 6F)
〒160-0022 東京都新宿区新宿3-32-6
TEL:03-5368-7309
http://www.beams.co.jp/labels/detail/b-gallery
 
長谷部宏と元ミュージック・ライフ編集長 東郷かおる子。
長谷部宏と星加ルミ子。シェーのポーズを取るジョン・レノンの写真の前でシェーざんす。
長谷部宏と星加ルミ子。ストーンズの写真を見ながら当時の撮影現場のエピソード話に花が咲く。
 
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